一般財団法人 日本環境衛生センター

アジア大気汚染研究センター

Asia Center for Air Pollution Research (ACAP)

アジアにおける大気質モデル・化学気候モデル間相互比較研究 (MICS-Asia) (2000年〜)

 

MICS-Asiaの概要

大気質モデル及び化学気候モデルは、大気環境の状況を把握すること、また、環境影響への緩和策の効果を評価することに対する、効果的な科学的手法です。しかしながら、現在のモデリングシステムには、観測結果の再現性の問題のみならず、異なるモデル間のシミュレーション結果に有意な差異が存在するという問題が存在しています。従って、特に国際的な大気汚染及び気候変動問題に大気モデルを活用するためには、アジアを対象とした大気モデルの性能と不確実性を把握し、モデリングシステムの改良を推進することが不可欠です。

その様な背景のもと、国際的モデル間相互比較研究MICS-Asiaが立ち上げられ、第1期(1998-2000年)が硫黄成分を対象とし(Carmichael et al., 2002)、第2期(2004-2009)では更に窒素成分、オゾン、エアロゾルを対象に加えて実施されました。第2期の研究成果は、2008年にAtmospheric Environmentに出版された論文特集号にまとめられています(Carmichael and Ueda, 2008)。その後、MICS-Asiaの活動は第3期(2010-2020)に引き継がれ、「トピック1:大気質モデル間相互比較、トピック2:信頼性の高いアジア域排出インベントリの開発、トピック3:大気質・気候変動相互作用に関するモデル間相互比較」の3つのトピックをベースとして研究活動が行われました。また、第3期では東南アジアを対象とした研究グループも立ち上げられました。MICS-Asiaは、2021年より第4期が公式に開始されています。

 

MICS-Asia第3期のフレームワーク

図1は、第3期トピック1におけるモデル間相互比較手続きのフレームワークを示したものです。相互比較に参加したモデルによるシミュレーション計算は、基本的に共通のモデル領域設定と入力データを使用して実施されました。アジア域人為起源排出インベントリについては、トピック2によって開発された、MIXと呼ばれるモザイク型インベントリ(複数の信頼性の高い排出量データを組み合わせて作成されるインベントリ)が使用されました(Li et al., 2017)。標準の気象データは、WRFと呼ばれる気象モデルによって準備され、側面境界データについては、参加モデルの便宜を考慮し、CHASER及びGEOS-Chemと呼ばれる2種類の全球モデルによるデータが用意されました。トピック1では、全ての参加モデル(合計14モデル)がアジア域を対象とした2010年の通年シミュレーションを標準実験として実施し、シミュレーション結果を提出しました。その結果に基づき、解析チームによって科学論文が作成され、MICS-Asia第3期論文特集号(次節参照)に投稿されました。

図1.第3期トピック1におけるモデル間相互比較手続きのフレームワーク

第3期トピック3では、MICS-Asiaにおける新しい研究として、エアロゾル・気象・気候の相互作用を評価するために、複数のオンライン化学・気象結合モデルのシミュレーション結果の相互比較が行われました。全ての参加モデルは、気象場、大気質、放射強制力、エアロゾルによる効果を評価するため、中国の北京・天津・河北省を含む領域を対象に、2010年1月及び2013年1月の二つの期間におけるシミュレーションを実施することが求められました。第3期トピック3では、排出インベントリについては共通のデータが使用されましたが、モデル領域の定義はモデル間で異なっており、従って、気象・化学物質の側面境界条件もモデル間で異なるデータが使用されました。共通モデル設定による相互比較については、第4期での課題となっています。

 

MICS-Asia第3期論文特集号

欧州地球科学連合のオープンアクセスジャーナルであるAtmospheric Chemistry and Physics誌に特集号「東・東南アジアにおける大気汚染及び気候変動に関する地域評価:MICS-Asia第3期の結果より(Regional assessment of air pollution and climate change over East and Southeast Asia: results from MICS-Asia Phase III)」を設立しました。2021年1月までに25編の学術論文が掲載されています。ここでは、特集号に掲載された大気沈着、オゾン、PM2.5、大気質と気候変動の関係に関する解析論文の概要を紹介します。詳細やその他の投稿論文については、特集号サイト(https://www.atmos-chem-phys.net/special_issue987.html)をご覧ください。

板橋ら(2019)は、大気沈着に着目した参加モデルのシミュレーション結果を解析しました。EANET観測データを用いて、湿性沈着のシミュレーション結果を評価しました。モデルは東アジアの湿性沈着観測値を概ね再現していましたが、硫酸塩とアンモニウムイオンの湿性沈着量は過小評価し、硝酸塩の湿性沈着量には観測値と大きな差がありました。湿性沈着量の総沈着量(乾性沈着量と湿性沈着量の合計)に対する比率については、全てのモデルで一般的に湿性沈着の比率が大きくなりました。総沈着量と人為起源の汚染物質排出量のバランスについては、排出量より沈着量が上回ることが日本、北アジア、東南アジアで見られました。この原因として、アジア内外の長距離輸送の寄与の可能性などが示唆されています。また、今後の課題として、降水量やその関連パラメータである大気中水蒸気濃度などのモデル性能を向上させる必要があることが指摘されました。

Liら(2019)は、オゾンに焦点を当てた参加モデルのシミュレーション結果を解析しました。ほとんどのモデルは、華北平原と環太平洋西部における地表面オゾンとその前駆体の時間変動の主要パターンを再現していましたが、珠江デルタではうまく再現できませんでした。これらの地域では5月から9・10月、1月から5月にかけてオゾンの著しい過大評価が見られました。観測値との比較から、オゾン光化学生成過程の多様性がこの過大評価と華北平原のモデル間変動が大きい一因と考えられました。参加モデルのアンサンブル平均は、個々のモデルと比べて必ずしも再現性の良い結果を示したわけではなく、アンサンブル平均が全ての不確かさを代表していない、もしくは参加モデルが重要な大気プロセスを見逃している可能性が示唆されました。例えば、アンサンブル平均は、西太平洋におけるオゾン濃度の鉛直分布を再現しましたが、夏季には800hPa気圧面以下のオゾンを過大評価しました。また、工業化された珠江デルタでは、アンサンブル平均は対流圏下層のオゾン濃度を過大評価し、対流圏中層のオゾン濃度を過小評価しました。オゾンのモデル間変動が大きいのは、たとえモデル計算スキームが類似していたとしても、化学反応、乾性沈着、鉛直混合の内部パラメータなどがモデル間で異なっていることに起因するものと考えられました。

Chen et al. (2019) は、参加モデルによるシミュレーションの結果をPM2.5 に注目して解析しました。参加モデルのシミュレーション結果のアンサンブル平均は、個々のモデルによる結果よりも優れた精度を示しました。個々のモデル間で比較した結果、PM2.5の構成成分である硫酸塩、硝酸塩、アンモニウムの構成比率に大きなばらつきが見られました。特に参加者が良く用いる大気質モデルCMAQでは、硫黄の酸化比率が他のモデルよりも高いため、硫酸塩の二次生成が強く表れると考えられています。また、NO3-/(NO2+NO3-)(モル比)について、すべての参加モデルが観測値を過大評価していることから、現行のモデルはNO3-の生成を過剰にシミュレートしていることが示唆されました。NH3律速の状態 (硫酸塩と硝酸塩に対するアンモニウムの比が1より小さく、粒子生成に対してアンモニアが大きく影響する状態) は全ての参加モデルで再現されており、これは少量のアンモニア排出量の削減が大気質 (PM2.5汚染)の改善につながる可能性があることを示唆しています。粗大粒子についてはモデル間で大きな変動係数が計算され、モデル間での一貫性の無さが示されました。特に乾燥・半乾燥地域におけるシミュレーションの結果に見られることから、現在の化学輸送モデルでは、黄砂などのダスト粒子の発生予測に異なるスキームを用いると、一貫したダスト排出の再現が困難であることを意味しています。PM2.5に対する各成分の比率をアジアの大都市ごとに分析すると、北京とデリーではNO3-が、広州ではSO42-主要成分であり、また、上海、ソウル、東京はSO42-とNO3-の寄与度は同等に計算されており、都市によって異なる大気汚染対策が必要であることが示唆されました。

Gao et al. (2019) は、エアロゾルの放射に対するフィードバックに注目してシミュレーション結果を検証しました。大気汚染物質の蓄積に関する主な特徴は検証に参加したモデルによって概ね再現されていましたが、PM2.5 の構成成分に大きな違いがみられました。これらの不一致は、エアロゾル直接放射強制力 (Aerosol direct radiative forcing、ADRF) とエアロゾルフィードバックの推定値の違いにつながります。複数のモデルから推定された地表付近と大気圏内におけるADRFの空間分布は概ね一致していますが、大気上端のADRFの空間分布は大きく異なっていました。北京-天津-河北(Beijing-Tianjin-Hebei,  BTH)地域では、大気圏上部、大気圏内、地表での ADRF のアンサンブル平均は、それぞれ-1.1W m-2、7.7 W m-2、-8.8 W m-2でした。エアロゾルによる放射強制力を直接分と間接分に細分化してみると、直接放射強制が支配的な役割を果たしていることが確認されました。エアロゾルによる放射へのフィードバックが気象状況へ与える効果としては、2010 年 1 月 17 日~19 日のヘイズ(煙霧) の強い日には、 BTH 地域の平均地表面温度が0.3~1.6℃低下した可能性があるという結果を報告しています。地上10m地点の風速は、中国東部で一貫して低下していました。BTH地域のヘイズがひどい日中に、エアロゾルの放射へのフィードバックによって引き起こされたPM2.5濃度の昼間の変化は6.0~12.9μg m-3(総量の6%未満)の範囲でした。感度シミュレーションにより、エアロゾルの混合状態がADRFとエアロゾルの放射へのフィードバックの推定値に重要な影響を与えることが示されました。

 

東アジアの大気モデル研究に関するワークショップ

MICS-Asia第3期は、2010年に中国大連で開催された、第1回東アジアの大気モデル研究に関するワークショップにより立ち上げられました。以降第3期では、MICS-Asiaにおける研究計画の立案、進捗の報告、及び次のステップについての議論のため、本ワークショップがMICS-Asiaワークショップとして毎年開催されました(表1及び図2参照)。ワークショップでは、モニタリング、排出インベントリ、及び大気モデルに関する一般研究発表のセッションも設けられ、情報・意見の交換が行われました。またワークショップの開催後には、現地の観測サイトへの視察も催されました。図3に浙江省金華市上黄村にある大気観測局設置予定地を示します。上黄村は人口約500人の村落で、周辺には大規模な大気排出源が存在しないため、バックグランド地点に区分されます。この地点は揚子江デルタ地域の南端に位置しており、同地域の大気汚染の状況を観測できることが期待されます。

MICS-Asiaの活動は、多くの参加研究者によるボランタリーベースの活動と協力によって支えられています。MICS-Asia第3期のワークショップは、アジア大気汚染研究センターと中国科学院大気物理研究所との共同で立ち上げられた、大気質モデル研究に関する国際連携センター(JICAM)による運営・予算的支援のもと開催されました。また、ワークショップを含むMICS-Asia第3期の活動の一部は、EANETの追加予算により財政的支援を受けて実施されました。

本研究に関連した発表論文は以下のとおり。